Message

Chief Executive & Happiness Officer
Yoichi Takebayashi

皆さん、こんにちわ。

突然ですが、ひとはどうなったら「幸せ」と言えるのでしょうか?

質問形式ではなく、ちょっと強めの提案形式で表現するのであれば、「周囲がこうしているから」とか「こうするのが良いと言われてきたから」、そういう生き方や、そういう生き方を押し付けるのはもうやめませんか?

近年では、テレビCMでも堂々と人生100年時代と謳われる中で、国際的には環境、食料・エネルギー、貧困、人権、核・ミサイル、戦争や紛争など様々な問題を引き続き抱えながら、国内でも少子高齢化、GAFA(*1)や中国の台頭、人工知能による雇用喪失の不安、ハラスメントや自殺など、めまぐるしい変化にさらされながら課題は山積しています。こうした背景のもとで、これまで通りの人生の3ステージ、すなわち、教育→仕事→引退を前提とした計画立てが実効的ではなくなり、「エイジ(=年齢)」と「ステージ」がイコールで結びつかなくなる、いわゆるマルチステージの時代を迎えるとも言われています(*2)。

日本では、良い大学に進学して、大企業に就職、終身雇用を前提に出世を目指す(または出世はどうでも良い場合も)、その間、家庭を持ち、ローンを組んでマイホーム・マイカーを購入する、定年退職後は退職金と貯蓄に加え、年金で心配のない人生を送るというライフ・プランが、とりわけ自分の親の世代では依然として「幸せの形」として認識されているのではないでしょうか。もちろん、こうした人生を否定するわけではありませんし、実際に幸せである方々も多いことでしょう。

しかしながら、上記のようなライフ・プランは、諸々のデータや社会変化を観察すれば、もはや確信の持てる、または確度の高い計画ではないということは明白だと言えます。また、なによりも問題だと感じているのは、こうすれば幸せになれるとか、これが“エリート”の目指す道だと考えられてはいまいかということです。例えば、日本の教育は形骸化して早数十年が経過していて、変化を渇望している方々が少なからずいらっしゃると認識しています。学校に限らずですが、組織における上長(上司や先生)の能力不足やモラルハザードによって、組織自体の意義や存続性が危ぶまれたり、いわゆる経営学者のクリステンセンの言うところのイノベーションのジレンマで述べられているように、全く異業種の新興勢力によっておかどを奪われたり、個人においては、力のある者の欲望によってハラスメントを受け、精神を病むまたは命を絶ってしまうことすら日常茶飯事に報じられています。

加えて、学校(テストの点数や合格不合格)や会社組織(売上などの業績)における定量的な評価至上主義の弊害として、ひとをIQ、職業、経済的豊かさでしか判断できない風潮が蔓延しています。その全部ないし一部を手に入れた、いわゆる「エリート」と呼ばれるような層(「オールド・エリート」と呼びましょうか)にも、EQや寛容性が低く、利己的で、いい年になっても異常なまでの承認欲求、ひとを経済的な価値でしか見ることができない方々を幾度となく見てきました。本当にそういった方々が素晴らしいと言えるのでしょうか。皆さんはそういう人間になりたいですか?お子さんにそうなって欲しいでしょうか。もしくはそう言われている本人たちも実際に幸せを感じているのでしょうか。ぼくの回答は明確で、「NO」です。

また、こうした評価基準が根付いた社会であるがゆえに、その真逆だと考えられている(その認識自体にも誤解があるのですが)アートや芸術に対する評価が異常に低いのも日本が抱える悲しい実態です(デザインに対する評価もまだマシかもしれませんが同様なのではないでしょうか)。それゆえ、当社では日本におけるアート振興にもコミットし続けていきます。そこには、ただ闇雲にその振興を主張しているのではなくて、後述する個人の経済的要素と心理的要素のバランス維持や有形および無形の資産創造にも繋がる可能性という観点に加えて、地球、国、地域、組織の発展が個人の創造性に依拠していることに根拠を置いています。

話を戻しましょう。では、どうすれば個人がハピネスやウェルビーイングを実現できるのでしょうか。自身の経験と照らし合わせながら、これまでに「幸せ」に関する著書(*3 / *4を例として)を読む限り、自分の意識や考えに素直なひと、信頼できる友人に囲まれているひと(人数ではない)、ささやかなことにも幸せを感じられるひとは「幸せ」に近いと認識しています。冒頭で参照している著書の言葉を借りれば、金銭的要素と非金銭的要素、経済的要素と心理的要素、理性的要素と感情的要素のバランスを取ること、有形の資産だけではなく、健康や良好で深い人間関係など無形の資産を築くことが重要だとも言うことができます。

だから、ぼくはこう考えました。 新しい形の幸せを実現している・実現しようとしている方々や創造的に活動している方々(「ニュー・エリート」と呼びましょうか)を応援し、社会に貢献しようと。新聞やテレビといったオールドメディアであろうが、新興メディアであろうが、そこで見聞きする意見や言葉には必ずしも責任は伴いません。あくまで意見として取り入れて、自分自身の意見を述べられるようになる必要があります。そのためには、「考える」ことや「学び続ける」ことを習慣化しなければなりません。そのために必要なノウハウ・技術は積極的に取り入れて、どちらかというと柔軟な頭や体をもって何事にも対処できる、未来を切り開ける人材になっていく、そんな人材を増やしていく、こうした活動で皆さんとともに創造的で幸せが持続する社会、まさにCREATIVE JUNGLEを作り上げていきたいと思います。

  • (*1) GAFA : Google、Amazon.com、Facebook、Apple Inc.の米国4企業の頭文字を取ってこう呼ばれている。
  • (*2) リンダ・グラットン / アンドリュー・スコット「ライフシフト – 100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社)
  • (*3) M.チクセントミハイ「フロー体験 喜びの現象学」
  • (*4) Martin E.P. Seligman "The Hope Circuit : A Psychologist's Journey from Helplessness to Optimism"